WaTという13年間
まず書いておきますが、WaTが解散することについて全く悲観的になっていないファンの書く文章です。
むしろ解散することにホッとしてると言ってもいいです。
でも、解散することはとても寂しい、本当に悲しいです。
こんなつたない文を書きながらもずっと泣いています。
まだWaTという名前じゃなかったころからWaTがいてくれた私の13年間。
最近は特にWaTを応援することが、徹平くんを、ウエンツくんを応援することが苦しいと何度も思いました。
その苦しい思いをすべて「思い出」にできるようになり、ホッとしている自分がいます。
その思いを書いてしまう文章です。
いちファンの推測が多々ありますし、批判的な部分などファンの方にはイヤな思いをされる部分が多々あると思います。また申し訳ないほどにつたない文章です。
なのでもし読みたくないと思った方はここで止めておいてください。
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私は小池徹平くんのファンです。
徹平くんがジュノンボーイでグランプリをとった頃から今も徹平くんが好きで応援しています。
グランプリを獲得した彼でしたが、上京しても思うように仕事がうまくいかない時期がはじめは長くありました。
その頃に同じ事務所ということでウエンツくんと出会いストリートライブ、学祭でのライブなどをするようになりました。
もちろんこの頃は子役の頃からお仕事をやってきたウエンツくんのほうが圧倒的なキャリアがあり、知名度もありました。
ウエンツくんには大河ドラマや、様々なお仕事があり、順調だったと私は感じていました。
そこから徐々に徹平くんはウォーターボーイズやごくせんに出演し、人気と知名度をあげていきました。
同じようにウエンツくんもバラエティーに出るようになり、
人気と知名度をお互いにあげていきます。
そんななかWaTは「卒業TIME」というアルバムをインディーズでリリースします。
この頃のWaTはやっと芸能界に慣れてきた、まだまだ必死な徹平くんをウエンツくんが支え、引っ張りながらWaTとして活動している雰囲気がありました。
MCなどの喋りも、人前に出るときもウエンツくんが前に出て、盛り上げてWaTを、小池徹平を強くたくましくウエンツくんが支えていたように思います。
また、WaTのライブもエンターテイメントショーと銘打たれていて、音楽だけでなく芝居やその他色々なことをしていた、ショーでした。
もちろんここでも引っ張ってくれていたのはウエンツくんです。
ウエンツくんはとてもたくましく、頼れる徹平くんの兄貴というような感じでした。
このときは、これからもWaTはこうあるのかなと、WaTの将来が明るく楽しく、未来を見ることがとても楽しくありました。
そして2005年のメジャーデビュー。
たくさんの人数を集めたメジャーデビューの記念イベント。
ミュージックステーション、紅白歌合戦への出演。
2006年はバレーボールのサポーターなど、華やかな活動がたくさん続き、WaTとして、またウエンツ瑛士として、小池徹平としての知名度は絶対的になったなと思いました。
しかし、この頃から徐々にWaTとしてのウエンツ瑛士、小池徹平にずれが出てきたように思います。
メディアにたくさん出るということは好きになってくれる方が増えて、ファンが増えるということです。
もともとごくせんやドラゴン桜など、ジャニーズファンの視聴者が多いであろうドラマに出ていた徹平くんは着実にファンを増やしてきました。
簡潔に書くと、ウエンツくんのファンより徹平くんのファンの人数が目に見えて多くなったのです。
その頃からでした。
ウエンツくんがイベントなどで「徹平はファンが多くて…」という話を笑い話として持ち出すようになったのは。
子役の頃から人気者だったウエンツくんにとって、自分が支えなければいけない!と思っていた(であろう)徹平くんのほうがファンの人数比として多かったのはとても悔しいことだったのだろうと思います。
その後、ソロ活動が発表され、ファンの間では「ケンカをしたのではないか」などと噂されていました。
徹平くんがソロでアルバムをリリースし、ウエンツくんはゲゲゲの鬼太郎で主演をするなど、徹平くんが音楽に、ウエンツくんがお芝居に力を入れ始めたのです。
その後、急に決まったような発表の仕方で福井でライブをし、WaTとしての活動をしました。
席はパイプ椅子で、バスツアーの団体がワンブロックを陣取っている謎ライブでした。
福井ということもあり、地元の女子高生だらけでWaTとしてライブをしたのかよく分からないようなライブだったように思います。
その後の紅白でも、ソロ活動が目立っていた年なのでソロ曲をお互いが披露し、僕のキモチを歌うというWaTのファンからするとなんとも言えない出演になったように思います。
ここから私のなかでWaTが崩れている、という確信となった2008年です。
2008年はまずWaTがUSJのパレードへ曲提供をし、きんきらきんのゴテゴテした虹色の羽の冠を頭にかぶって愉快にパレードへ参加するなど、国民的な遊園地の宣伝を任されるという華やかなはじまりでした。
装置に乗ってパレードに参加するWaTはきんきらきんでした。とてもかわいかったです。
そしてこの後、WaTのツアー( 凶×小吉=大吉TOUR)がはじまり、そこで私はすでにウエンツくんと徹平くんがWaTとして活動するのに限界があるのではないかと感じました。
このツアー、Zeppなどライブハウスでのスタンディングが主でした。
スタンディングなのでライブ中、ファンは動き、自分の好きな方の側に立とうとします。
徹平くん側に大量に人が集まり、ウエンツくん側のスタンディングエリアにあまり人がいないという状況になっていました。
私はこのライブではほぼほぼ後半番後でライブに入っていたのですが、いつの間にかウエンツくん側の最前にいるなどということがライブ中によくありました。
さすがにこんなことがあってウエンツくんが傷つかないわけはないと思います。
歌っている途中もよく徹平くん側のファンを見ていた印象がありました。
Wikipediaなどで見ていただくと分かると思うのですが、ここからWaTとしてのライブが先日の10周年ライブまでありませんでした。
これは私の推測ですが、ウエンツくんがこのツアーからライブをすることを嫌がったのではないかと思います。
その後「36℃」というシングルが発表されます。
このときにデビューイベント以来の握手会が開催されます。
(CDに参加券がついていたので現在流行っているような握手会でCDを売りたいという売り方だったように思います)
このときに露骨だったのはまたファンの方々で、徹平くんとの握手時間をできるだけ引き伸ばし会話をしようとしていて、ウエンツくんには「ありがとう」と一言伝えたか伝えないか、といった風でした。
スタンディングライブからのこの握手会です。ウエンツくんが嫌がっても仕方がないのではないかと、いまでも思っています。
2008年のウエンツくんはゲゲゲの鬼太郎の続編や、のだめカンタービレへの出演などで役者として認められていくかたわらで、週刊誌に根も葉もなさそうなことを書かれることや、出演が決まっていてチケットも発売されていた蜷川幸雄さんの舞台を急遽降板するなど、苦い年でもあったように思います。
そんな年にWaTとした、徹平くんとの差をファンに露骨に見せられ悔しい、苦い年になっていたのではないかと、私は思います。
そんな2008年の翌年、2009年はWaTとしての活動はありませんでした。
ライブツアーでのこと、握手会でのことがあり活動したくない、というのは仕方ないのではないかと私は思っていました。
この年徹平くんは2枚目のソロアルバムをリリースし、「ひとりでもやってますねん」といういかにもなタイトルを引っさげてソロライブを行うなど音楽活動に力を入れた年になります。余談ですがグッズがおしゃれでした。いまでも愛用しています。
ウエンツくんものだめカンタービレの映画に出ることや、昨年なぜか降板した蜷川幸雄さんの舞台への出演を果たしました。
しかし、昨年のようにUSJなど華やかな活動が目立っていたWaTが急に活動しなくなるということを世間は放っておきません。
テレビに出れば
「WaTはどうしたの?」「(ウエンツくんと)(徹平くんと)ケンカでもしたの?」「もうWaTはやめるの?」「ひとりでやっていくの?」
など、どこまでいっても
【WaTとしての】小池徹平
【WaTとしての】ウエンツ瑛士
がつきまとうことになります。
このときお話上手なウエンツくんは出演したテレビでWaTのことを聞かれる前に徹平くんのことをいじるように、おもしろくお話されていましたが、徹平くんは自らWaTとしての活動、ウエンツくんのことをメディアで語ることはあまりありませんでした。
2009年の時点ですでに、お互いの活動に重く【WaT】がのしかかっていたように思います。
役者をすれば音楽はどうしたの?と言われ
音楽をすれば役者はどうしたの?と言われ
ソロ活動をすればWaTはどうしたの?と言われ
【WaT】という存在がお互いにとって、あまりにも大きく、あまりにも重くなっていたのではないかと、いちファンの私は感じていました。
徹平くんの役者としての活動は書いてきませんでしたが2008年から特に、ドラマや、映画の出演数がウエンツくんより目に見えて多く、また主演の数も多くなっていました。
音楽にも力を入れ、役者としても認められていく徹平くんとウエンツくんの間に壁ができているのだろうなとも感じていました。
そんななか2010年に急に2年ぶりにWaTとしての活動があり、シングルを出します。
まずこの曲がWaTのファンにとってつらいものだったように思います。
というタイトルから分かるように、当時はやっていた「草食男子」の曲だったのです。
これは当時徹平くんが草食男子の役を演じ出演していた(もはや徹平くんはこのドラマのなかでのヒロイン役でした)観月ありささん主演の「おひとりさま」での役柄を前面にうちだしたシングルでした。
この年の流行語大賞に「草食男子」がノミネートされたときも小池徹平が草食男子の代表として授賞式のようなところに出演しています。
WaTが完全に小池徹平のためにあるような気がしてならない、こちらとしても嫌なリリースでした。
Wikipediaからの抜粋ですが
今までのシングルはほぼWaTの2人名義で作詞作曲しているが、今回の作曲者は岩田秀聡という人で、thirstyroadという沖縄のバンドのメンバーである。
ということです。
今までのように丁寧な音楽を作って、提供してくれていたWaTの作品ではないということが明らかでした。
このときのシングルではいつもあった、WaTがひたすらやかましくしゃべり倒すボーナストラックが無くなっていました。このシングルの2ヵ月後に発表された「24/7〜もう一度〜」というシングルにはボーナストラックがありますが、今までのシングルの3分の1ほどの長さでした。
さらにテレビや、イベントを開催してこれらの曲を歌うこともなく、ただCDを出しただけ、という状況でした。
お互いにWaTとしての活動が、中途半端になり、お互いにとってWaTの存在がプラスになることはあまりないのではないかと私が強く感じたのが2009年の活動でした。
その後現在の2015年までFNS歌謡祭に出る、WaTでCMをするなど「まだWaTはありますよ~」という事務所やレコード会社からのアピールとしか思えない細かな活動を続けていきます。
そんななか、今年2015年の夏にめざましライブや、テレビ朝日のイベントなどに出てWaTとしの活動を本格的に再開しました。
このとき私が思ったのは「まだWaTにしばられて二人は活動しないといけないのか?」ということです。
WaTとしての活動を止め、2015年までの間に2人は着実に力をつけていき、もう「WaTの」という看板なく「個人名」で活躍できるまでになっています。
ウエンツくんはバラエティーで司会をしたり、バラエティーになくてはならない存在になり、さらにことし「スコット&ゼルダ」というタップダンスがあったり、楽曲もジャズというとても難しいミュージカルを成功させ、ひとりのタレントとして、役者としても確立しています。
徹平くんも舞台に出演しミュージカルに挑戦しはじめ、デスノートのミュージカルでLという大役を演じるなど、映像でのお芝居だけでなく舞台での活躍もできるようになり、ひとりの役者として確立しています。
そんななかまだWaTとして新曲を発表すること、WaTとしての活動が発表され、私はまたふたりがすれ違い、ひとりで活躍できるまでの存在になったのにまだWaTとして縛られ活動しないといけないのかと、内心落ち込んでいました。
喜んでいたファンの方には申し訳ないですが、はやくすっぱりと解散すればいいのにとさえ思っていました。
そこに今回の解散が発表されました。
はじめに書いたように私はほっとしました。
なにより一番ほっとしたことは、WaTの活動を見てきて、不安に思っていること、イヤだなと感じたこと、楽しかったこと、幸せだったこと、すべてを思い出にすることができるということです。
また○○のときのようなことがあるかもしれない
また○○と言われながら活動するんだ
と不安を感じたこともすべて思い出にできること。
これからこのすべてを考えながら徹平くんを、ウエンツくんを応援しなくていいんだ、ということです。
徹平くんが、ウエンツくんがテレビにでる度に友達などに「WaTはやめたの?」と聞かれ、白々しい説明をすることもないんだ、と思うととても気持ちが軽くなったのです。
もちろん、これからWaTが見れないんだという寂しさはあります。この文章を書きながらめちゃくちゃ泣いているくらいには寂しいです。つらいです。
しかし、何年も不安に思い、いらだちながら活動を見守ってきたことをこれからしなくていいんだという考えが、寂しさに勝っているのは事実です。
ウエンツくんはWaTに甘えていたと言いましたが、もうWaTに甘えていた期間はとっくに過ぎていたのではないでしょうか?
たしかに、WaTとしてのウエンツ瑛士や小池徹平を掲げてメディアでちやほやされていたことは事実です。
WaTがなければきっといまの2人の活躍を見ることはできなかったでしょう。
WaTとして活動したことは無くてはならないことです。
WaTとして活動をしていなかった時期はWaTに甘えていたでしょうか?
きっと違うと思います。
またWaTを解散まで追いやってしまったことは、私たちファンの責任がとても大きいと解散発表をうけて感じました。
WaTが好きだ
と思っていた私はただただ個人が好きなだけだったのです。
それが今回の解散に繋がったことは自分のなかで一生責め続けることです。
大好きなものを自ら壊してしまったのですから。
16歳で不安のなかにいた彼らはもういません。
ぼくらの気持ちがちゃんと届いていますか?と叫んでいた彼らはもういません。
ふたりがそろって30歳になる今年度、重たい荷物をおろし、大きな看板をおろした彼らがどのように活躍していくのか。
どこまで飛んでいくのか。
僕らはいつもここで待っているから
僕らはいつもここで歌っているから
と叫んでいた彼らを思い出の箱にしまって、思い出して覗いてみたりしながら今後の彼らの活躍を応援していきたいと思っています。
新しい「reStart」をこれからもずっと応援していきます。
大好きです。
これからもよろしくね。